oneearthのブログ

考えることは人の武器

私の基本の考え方の環境

私は11歳まで田園地帯(ようは自然の多い田舎)で育った。山や川 自然の中で自由に遊び回った。
12歳からは父親の仕事の関係で横浜、でもその当時は緑も多く、まぁまぁ楽しかった、今ではその面影は全くない状態。中学に行くようになって、友達も出来楽しかったが、3年生あたりから、私には違和感を感じ始め、高校も行ったが3年の1学期でやめた。何となく違和感の理由が分かってきた。自分の未来が方向づけされているという、感覚を持ち始めたのです。(他にも理由はあるのですが)
それから、バイトしたり家に居づらくなって、2年ほど居場所も告げず家出(バイトしながら放浪したのですが)、帰ってからも家にはほとんどいなかった。中学の頃からそうなのですが、集団、組織が苦手でどちらかというと一匹狼でした。でも、協調性はありました。
30歳前にして、子供が生まれた時にまず思ったのは、「こんな都会で子供を育てたくない」という気持ちが強く、旅行で訪れた八ヶ岳山麓に借金して土地を買い、1年掛けて自分で家をたて住み着いてしまいました。
子育て、仕事、バイト、遊び、景色、そのほとんどが私を自分でいさせてくれる。お金、集団に依存しないから、常に自分と対話し、自分を見つめる。色々な詰まづきにも必死に考え、自分で答えを出す(当然、人のアドバイスも考慮しますよ)「熟考し、行動し、天命を待つ」私の基本的姿勢です。もう、30年以上になりますが、ここが終の住処でしょう。


此処の所の、日本国内の政治の動きは、私が中学後半から受けた教育の影響を受け、集団の中で生きてきた人たちの悲しさが、良く現れています。無関心、今まで大丈夫だったんで大丈夫、お金が有れば問題ない、どうすればいいか分からない、目立つとまづい、ちゃんと真面目に働き、生活して来たのだから国がちゃんと守る。要するに自分で情報を得、自分の脳で考え、未来を予想し、それが良いかどうかの判断を捨ててしまい、相手に依存している。そしていざとなれば、強者に付くのである。実にずる賢い方法である。実際に私から見れば、なぜこんなずる賢い人が、著名人になるのかという例はいっぱい見てきた。だが、これは日本の教育、特に高校から大学にかけての、経団連(この中にはずる賢い人が沢山いると思います)の要求に応えて、教育の仕方で作られてきた、一種のマインドコントロールによる悲しい結果と私は思っています。

「自分で考え自分で判断そして行動する」が人間であると考えます。


私は自然を愛し、共に生きようとする、普通の自由を求める人間です。

学校教育、学歴 お金がすべてのような考え方は、しないほうが良いと、私は思っています。


今の自分(人間)としての立場。宇宙の一部、地球の一部、生命の一部、動物の一部、国の一部、人間の一部、地域の一部。どこに自分の心を置くかによって、考え方は大きく変わります。自分にとってどこに自分の心を置くかは、とても大事なこと思います。